今日、7月1日は、私の49回目の誕生日でした。お祝いのメッセージをいただいた皆さん、ありがとうございました!

7月1日は私の49回目の誕生日でした。お祝いのメッセージをいただいた皆さん、ありがとうございました。

チーム石橋のスタッフから、お祝いとケーキを贈ってもらいました。お祝いは、通常国会の本会議で代表質問した時の写真パネルと、島根の銘酒「王禄」でした。嬉しい~! 日本酒好きの皆さん、王禄はいいです。ぜひお試し下さい!

さて、そんな素晴らしい誕生日・・・のはずだったのですが・・・今日は、違う意味で忘れられない、忘れてはいけない誕生日になってしまいました。

すでに皆さんもご存じの通り、本日、安倍政権は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。暴挙としか言いようがありません。政治的クーデターとも言える蛮行です。まるで悪夢を見ているようで、強い憤りを感じます。

安倍総理は、今日の記者会見で、「国民の命を守る」と繰り返し述べています。しかし、安倍総理の記者会見は、欺瞞に満ちたものでした。「自民・公明の連立与党が濃密な協議を積み重ねてきた結果だ」と言いますが、それはつまり、国民的な議論は一切無しに、国会での議論も一切無しに、連立与党の・・・しかもその一部の代表者たちだけが、密室で、まるでゲームのように言葉遊びをして仕上げた結果で、憲法9条を捨て去ってしまったことを認めているに過ぎません。安倍総理の全く私的な懇談会が、結論ありきの報告書を提出してまだ1ヶ月余り。何が濃密な協議なのでしょうか?

安倍総理は「集団的自衛権が現行憲法の下で認められるのかという抽象的・観念的な議論ではない。現実に起こりえる事態に現行憲法の下で何をなすべきかという議論だ」と言っていますが、『集団的自衛権は現行憲法下では認められない。認めるためには憲法を改正するしかない』という事実は、抽象的・観念的な議論ではなく、それこそ長年の自民党政権下で国会での濃密な審議を経て積み上げられてきた結果としての確立された解釈です。

現実に起こりえない事態、個別的自衛権または警察権の範囲で対応可能な事態を、あたかも集団的自衛権を行使できなければ対応できない事態かのように国民を欺いて、現行憲法下でできない武力行使に道を開こうとする議論に過ぎません。

安倍総理の今日の記者会見、そして閣議決定がなぜ欺瞞かと言えば、それが、今回の問題の本質に全く触れていない、つまり、解釈改憲による集団的家意見の行使容認が何を意味するのかを敢えて隠そうとしているからです。

安倍総理は、(1)ときの政権が勝手に憲法解釈を変更して、平和主義、立憲主義、法治主義、民主主義を破壊してしまうことの危険性、(2)日本が攻撃を受けていないにもかかわらず(つまり日本が当事国でないにもかかわらず)、国外で他国の戦争・紛争に介入して武力行使することで生じる危険性(つまり日本国民がかえって無用の攻撃に曝されるリスク)、(3)自衛隊が他国の戦争・紛争に武力を持って介入することで、日本の若者が戦死する(相手を戦死させる)危険性、(4)専守防衛が崩れることで安全保障予算が増大していく危険性、(5)将来、本当の意味で国民を守るための自衛隊の要員が確保できなくなる危険性、などについて一切、説明していません。

架空の事例を使って感情に訴え、ナショナリズムを高揚し、リスクを隠して問題をすり替える・・・これは、昨年、麻生副総理がつい本音を喋ってしまったように、「ナチスの手口」を学んだ結果なのでしょうか? とすれば、その先に待っているのは一体どのような国なのでしょうか?

安倍政権は、そして自民党・公明党は、数の力で何でも出来ると奢っているとしか思えません。その奢りを正すのは、憲法の所有者であり、我が国の主権者である国民の力です。

今日が終わりではなく、今日をはじまりにしましょう。平和を守るための運動を、今日から始める・・・そのために、忘れてはいけない誕生日にしたいと思います!